まえがき
実は「聴く」よりも「聞く」ことのほうが難しい。「ちゃんときいてくれない」と言うとき、「聞いてくれない」であって、「聴いてくれない」ではない。言っていることをそのままに受け止めてもらうことが難しい。しかし話を聞けないのは話を聞いてもらえていないからだ。
聞く技術 小手先編
- 時間と場所を決めてもらう
- 眉毛にしゃべらせる
反応はオーバーに - 正直でいる
ちょっと思っていることならオーバーに言っても問題ない。嘘になるなら黙っておこう - 沈黙に強くなる
- 返事は遅く
- 7色の相づち
7種ぐらいあると聞いている感が出るらしい。
うーん、ふーん、なるほど、そっか、まじか、だね、たしかに - 奥義オウム返し
- 気持ちと事実をセットに
片方で語っていたら片方を尋ねる - 「わからない」を使う
「私だったらこう思いそうな気がするけど、なんであなたはそう思うの?」 - 傷つけない言葉を考えよう
- なにも思い浮かばないときは質問しよう
- また会おう
とはいえ、余裕があるときは小手先がなくても聞けている。余裕がないとき(相手との関係がギクシャクしているとき)は、「聞いてもらう」ことから始めよう。
第1章 なぜ聞けなくなるのか
政治とは本質的に孤独を伴う仕事なのだと思う。人々の対立する利害を調整しようとするならば、当然両方の側から「わかっていない」「ちゃんと聞いていない」と突き付けられる。だから、政治家は孤独に強くなくてはならない。シビアな場に一人で踏みとどまり、遠い他者の声を聞く力が必要なのだ。
東畑開人『聞く技術聞いてもらう技術』p.51-52
<大変に正鵠を射た文章だ。なにも政治家に限った話ではない。「社内政治」という言葉もあるように、誰しもが政治を行なっている。部署と部署、AさんとBさんの板挟み。対立している当事者どうしも、調停役のわたしも、みな孤独なのだ。>
ここで精神分析家のウィニコットの「対象としての母親」と「環境としての母親」が紹介される。前者は頭に思い浮かべるひとりの人としての母親だが、後者は食事が用意されたり洗濯物が畳まれていたりすることで立ち現れてくる母親だ。母親に限らず、電力会社などアンサング・ヒーローのことだ。
「環境としての母親」は失敗することで意識されるが、そのことで子どもは大人になれる。パーフェクトな母親だと、『千と千尋の神隠し』の「坊」になる。<失敗してもいいのだ。これは誰かを育てる立場にある者を勇気づける。>この話は「聞く」ことも普段は意識されず、失敗することで気づかれることに共通する。
失敗が短期間のうちに解決されるなら問題はない。だが、それができないときは「聞く」しかない。聞くことは痛みを和らげる。
みんな、心の中では、がんばらなきゃと思って生きているし、実際のところめちゃくちゃがんばって生きています。これ本当ですよ。
東畑開人『聞く技術聞いてもらう技術』p.75
第2章 孤立から孤独へ
孤立しているとき「心の中に暴力的な他者」がいる。想像上の悪しき他者の「お前は迷惑だ」の声が吹き荒れている。
<重要なのは「想像上の」ということだ。別の言い方をすれば「仮説」である。それは事実か?裏取りをしよう、というメッセージでも希望は見えてくるのではないだろうか>。
一方で「孤独」は安定した現実が前提となっている。ホームレス支援でも「ハウジングファースト」という発想がある。
解決には時間がかかる。そして同じ人の中でも複数の心が綱引きをしているのだ。
聞いてもらう技術 小手先編
◯日常編(体を一緒に置いてみよう)
- 隣の席に座ろう
- トイレは一緒に
- 一緒に帰ろう
- Zoomで最後まで残ろう
- たき火を囲もう
- 単純作業を一緒にしよう
- 悪口を言ってみよう
◯緊急事態編(この技術を使っている人に協力しよう・声をかけよう)
- 早めにまわりに言っておこう
- ワケありげな顔をしよう
- トイレに頻繁に行こう
- 薬を飲み、健康診断の話をしよう
- 黒いマスクをしてみよう
- 遅刻して締切を破ろう
第3章 聞くことのちから、心配のちから
「聞く」ことはプロの心理士だけでなく、ごく普通の人も行なっている。しかし専門知に対して、「先輩の話」のような世間知は弱体化する時代にある。どちらが良いというものではない。世間知では理解ができないものを、専門知が名前を付けて(病名のように)、知識を与えてくれる。「ふつう」という世間知は包摂と肯定に使われるとき薬となる。
◯「ふつうそれはおかしいよ」「ふつうそんな言い方しないよ」
✕「それくらいふつうじゃない?」
人生の不幸とか失敗とか、そういうものをなんとかやり過ごし、生き延びた話を、僕らは仲間内で交し合います。そうやって、物語ったり、物語られたりすることが、日々の心の支えになるのだ
東畑開人『聞く技術聞いてもらう技術』p.173
つながりのあるときの時間は治療的だが、つながりのないときの時間は破壊的だ。
第4章 誰が聞くのか
おせっかいに案外ひとは助けられます。「聞く技術」の本質は、「聞いてもらう技術」を使ってモジモジしている人に声をかけるところにあります。
当事者であるときは話を聞いてもらい、第三者であるときは話を聞いてみる。立場は交互に入れ替わります。あるときには聞いてもらう側だったけど、別のときには聞く側になる。「聞いてもらう技術」を使うときもあれば、「聞いてもらう技術」を使っている人を見つけて「なにかあった?」と尋ねるときもある。「聞く」がそうやってグルグルと循環しているときにのみ、「社会」というものはかろうじて成り立つのではないでしょうか?
東畑開人『聞く技術・聞いてもらう技術』p.234
感想
ああ美しいなあと。「循環」というのは学問のなかで惹かれたもののひとつであったと思い出された。対立するものを行ったり、来たり。矛盾のなかを自由に羽ばたいている感じ。素敵だ。